輝くおじさんの暮らし

妻と二人暮らしのおじさんが些細な“暮らし“について語ります。何気ない日常を輝かせたい現在私は53歳。

ディンブラ 紅茶のある暮らし

 今日は日曜日。快晴。1日の初めに紅茶を飲むのが日課だ。

 紅茶を飲み始めて、もうかれこれどれくらいになるだろう。10年?20年?わからない、それくらい昔からだ。そう言えば、結婚する前の20代の頃は、紅茶といえばリプトンのイエローラベルのティーパックにレモンの輪切りと角砂糖を入れて飲むことしか知らなかったことが懐かしい。

 今は数種類の茶葉をネットで取り寄せ、その日の気分で選んでいる。

 お湯が沸いたらまずポットを熱湯で温め、そのお湯でカップも温める。茶葉をポットに入れたら勢いよく湯を注ぎポットにティーコージーをかけて保温するのがいつもの手順だ。そしてカップに牛乳を注ぎ紅茶を入れる。ミルクティーがお気に入りなのだ。実のところストレートでは滅多に飲まない。

 さて今日の紅茶は「ディンブラ」

 昨夜はゆっくり眠れて体調もいい。外は晴れて、背中に感じる穏やかな春の風も心地よい。そんな日は、渋みに爽快さがあるディンブラが飲みたくなった。ミルクを入れても渋みと爽快さは感じられ、ゆっくり飲んで少々冷めても美味しいし、茶葉が細かいので、忙しい朝でも蒸らし時間が短くすぐ飲めるのも良いポイントだ。

 ディンブラはインド大陸の南、スリランカ島の紅茶だ。ディンブラをネットで情報収集すると、スリランカの紅茶の中では日本に一番輸入されているらしい。

 

たかがボールペン

 私はペンには少々こだわりがあって、プラスティック製のものは使いたくないというかはっきり言って好きではない。

 ペンは少し重みがあって、なめらかな書き心地といってもさらさらではなく、ある程度の粘性は必要だ。細さは普段使いは0.7ミリ、手帳用は0.5ミリがよい。

 皮膚に触れるものだから、ペン軸を指ですりすりして気持ち良いものがいい。

 昨年記念品でいただいた、杉材をつかった三菱のペンはすりすりが気持ちよく日記用で時々すりすりしながら使っている。

 もう一つ別の記念品でいただいたパーカーの手帳ペンは、芯が太くて漢字を書くには不向き(さすが英国製)であったが、芯をジェットストリームの0.5ミリに入れ替えると驚くほどに快適になった。

 仕事用は、パイロットの高級ペン「リッジ」、赤黒+シャープペンで軸を回転させて色を変えるタイプだ。材質は真鍮なので重みがあってよい。芯はアクロインキが純正だが、私にとってはインクがなめらかすぎるので、セーラーの芯に変えている。赤のペン先の赤マークがいつの間にかこすれて消えてしまうのが玉にきずではあるけれど。

 でもいいペンで書くと文字に魂が入った気がするし、失くしたら本気で探します(笑)

今夜はストレッチ

 昨夜、職場の同僚が病院で亡くなった。62歳。4月から同じ職場になったばかりでまだ話をしたことがなかった。数日前にどこかでつまづき頭を打って病院に入院していたが、意識がなくなりそのまま息をひきとったらしい。脳内出血だろうか、はっきりとした理由はわからないが彼の生前の姿を思い出すと、歩く姿は緩慢で、よちよち歩きをしているようだった。いつも顔が赤くほんやりした表情。アルコール中毒だったのかもしれない。

 よちよち歩き。自分も股関節が固くなってきた自覚がある。股関節の柔軟性が体を若くする。そう信じて今夜は久しぶりに酒を飲まずにストレッチとダンベル体操をした。

 ストレッチは、座って足の指からほぐすことから始める。次は足首、ふくらはぎから足の付け根までマッサージ。このような順番でもう10年以上は同じルーチンのストレッチだ。上半身まで終われば次はダンベル体操。

 

 運動量は、なんてことないと思っているが久しぶりにすると筋肉痛になる。体は簡単になまるのだ。

 

 今夜は一つ大切なことをやり終えた気分。今できることをしよう。同僚の死はとても大きな気づきを与えてくれた。

 

愛の水中花

あれも愛、これも愛、それも愛、きっと愛

私は愛の水中花

 

タイトルと「水中」繋がりで、水泳の話を書こう。

 

ここ何年か近くのジムで水泳を続けている。健康のためだ。

25メートルプールを6往復、クロールで片道25メートルおきに休みながらだ。

 

水泳は正直得意ではない。水が怖いのだ。

小学生の時には、プール授業の前は必ず、お腹をさすりながらお腹が痛くなれ!と祈っていた。

 

その水に対する恐怖は、泳いでいる途中にじわじわやってくる。

ハーッ、ハーッ、だんだん呼吸がキツくなる。

 

プールならば泳いでいるすぐ先に終わりがあるから我慢できるが

これがもし、船が沈んだりして大海原で投げ出されたりしたらどうなるかと。

 

どこまで泳げばいいのだろう。

 

死。魂が落ちてゆく。深い闇に吸い込まれて。

 

闇に輝く一輪の花

 

私は愛の水中花〜

 

おっと、うっとりうっかり想像の中で死ぬところであった。

 

話は脱線したが、

私にとって水泳は、体を鍛え精神も健康に保つ手段であるが、それは泳いでいる時の苦しさからくる死の恐怖があってこそ。

 

そして、泳ぎきって大きく息を吸う時の快感は、何事にも変えられないのだ(キラリ)

 

ああ無情

このタイトルを見て、アンルイスを思い出す人は間違いなく同世代だろう。

 

残念ながらアンルイスの話ではない。大好きなお酒の話だ。

 

酒は百薬の長と言うが、本当か嘘かわからない。いつも妻と一緒に食事をしながら飲んでいる。昨夜は飲みすぎて心が荒れて落ち込んでしまった。

もちろん楽しい時もたくさんある。が、家で夜に酒を飲むとその後何もしたくなくなるのが大きな問題だ。食事の片付けも中途半端になって気付けば夜中。時間が経つのも早い。飲みながら、こんなことしたいね!あんなことしたいね!という話がずっと宙に浮いている。

 

飲まなければできるのに。と思う。

 

今日は飲まないようにしようかどうか、毎日が自分との対話である。でも振り返ると毎日飲んでいる。これをアルコール依存症と言わずしてなんと言おうか。

 

先日、あるインドの仏教者の話をユーチューブで聴いた。この世の根源は無情であると。

良くも悪くも同じ状態は続かないし、変化することでしか生きていけない。例えば、音楽で「ド」の音しか続かない音の羅列は気が狂うよと。

 

物事の変化に、良いことと悪いことの区別は勝手に人が作り出すもので、どのような変化もありのままに受け入れる、いわゆる「あきらめる」=「あきらかになる」ことがこの世の理なのかと理解した。

 

でも変化は自分で作り出せるのも事実。人生は変えられるのだ。

 

こういうブログを書くのも、酒を飲まなかったらしたかったことの一つ。

 

さあ、これから酒を飲もう。(少しだけね。キラリ)

 

 

コロナの薬

コロナの治療薬がなかなかできないが、そういえば、昔ラジオで薬の先生が言っていた。

「薬は病気を治しません。治すのは自分の体です」と。

 

確かに、今コロナに罹った人は自分の免疫でコロナをやっつけている。

免疫力を上げること、いや下げないことが大事なのかもしれない。

風邪をひくときは、往々にして疲れた時だ。

疲れをとるには、十分な食事と睡眠が必要だと思う。

 

私の休みの日は、だいたい夜12時に寝て、朝は10時くらいに起床する。

けっこう寝ている。

毎晩晩酌していて、栄養のバランスを考えた十分なつまみを食べている。

たまにスナックも食べるけど。

 

十分な食事と睡眠。

これが一番の薬じゃないかな。